2026年– date –
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2026
市外視察研修会 伊豆韮山・函南方面
令和8年度市外視察研修会が10月23日に開催され、23名が参加しました。最初の訪問先である願成就院では、五体の国宝仏像を拝観し、これらすべてが運慶作と認定されるに至った経緯について説明を受けました。続いて、源頼朝が流刑生活を送った地として知られ... -
お知らせ
秦野市指定文化財公開に寄せて
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お知らせ
ホームページ再開のお知らせ
10月15日以来、当会ホームページの閲覧が出来なくなっていましたが、この度復旧いたしましたのでご連絡いたします。 ご不便をおかけして、申し訳ございませんでした。 -
市民の窓
大藤小太郎の足跡をたどる (8)
西田原香雲寺に建てられた大藤小太郎の供養墓 大坂夏の陣で大藤小太郎は討ち死にしました。かえりみれば、天正18(1590)年、北条氏のもとで秀吉の大軍を相手に籠城戦を戦い抜き、さらに天下分け目の慶長5(1600)年には、上杉景勝・直江兼続麾下で伊達政宗... -
市民の窓
大藤小太郎の足跡をたどる (7)
大藤小太郎、大坂夏の陣で討死す 慶長20(1615)年、大坂夏の陣における越前松平家の備えをみると、大藤小太郎の名は母衣八名の中にみえ、 「右八騎物見跡先を下知す」と説明があります。息子の金三郎は「大小姓組一番」というグループに属していました。... -
市民の窓
大藤小太郎の足跡をたどる (6)
越前での大藤小太郎 大藤小太郎宛の慶長8(1603)年正月9日付け知行宛行状に千石の内訳が記されています。842石1斗3升が志比(しひ)領今泉村において、157石8斗7升が 開發(かいほつ)村においてとあります。志比領はかつて志比荘と呼ばれていました。現在の... -
市民の窓
大藤小太郎の足跡をたどる (5)
大藤小太郎、上杉家を離れ、結城秀康に召し抱えられる 慶長6(1601)年8月16日、上杉景勝は直江兼続を伴って大坂城に赴き、豊臣秀頼に挨拶を済ませたのち、徳川家康と会見しました。そこで申し渡されたのは会津120万石から米沢30万石への減石転封です。改... -
市民の窓
大藤小太郎の足跡をたどる (4)
上杉景勝から梁川城の大藤小太郎らに慰労の酒肴が届く 10月16日付け直江兼続から梁川城の諸士に宛てられた書状には、伊達方への内応が発覚した横田大学を会津若松へ送ること、町人・百姓でも不審なものは若松へおくるべきこと、梁川城代の須田長義家中か... -
市民の窓
大藤小太郎の足跡をたどる (3)
伊達政宗と戦った大藤小太郎 直江兼続は、家康との直接対決が回避されたことと前述した伊達政宗の怪しげな「降伏」申し出もあり、最上領への侵攻を開始します。上杉勢は、9月12日から17日にかけての激戦で、最上方の多くの出城を陥落させ、最上義光(よ... -
市民の窓
大藤小太郎の足跡をたどる (2)
大藤小太郎、加勢として梁川城に派遣される 慶長5(1600)年、何月かは不明ですが、直江兼続のもとにあった関東牢人のうち大藤小太郎ら重立った者8名は上杉景勝より近侍を命じられ、米沢から会津に移りました。徳川家康との関係が悪化し、いわゆる「会津...