市民の窓– category –
-
市民の窓
幻のお札 堀村北の堂地蔵尊
2016年1月、平塚市博物館で特別展「千枚のお札」が開催されました。これは、秦野市堀山下の旧家に保存されていた大量のお札が寄贈されたことを受けて開かれた展覧会です。 寄贈者のO氏から「展示の中に、あなたが調べている秦野二十四所地蔵尊(註1)... -
市民の窓
天津神社奉納句額の調査
秦野市堀西に鎮座する天津神社には俳句が書かれた大きな額が奉納されています。額は幅3.26m、高さ53.5cm,厚さ3cmの木製板です(写真1)。この額には63の俳句が墨書きされており、内3句は句会を指導されたと思われる撰者のものです。額の標題は遊戯三昧... -
市民の窓
「いろはカルタ写真集」の紹介
秦野ぶらり会の二代目会長 石川邦夫です。 秦野市には古墳前期の住居跡がある(東圏・中丸遺跡)、春分・秋分時はダイヤモンド富士山が盆地の各地から観測されます。古墳も多く、古代のロマンが沢山眠っている所だと思います。また平安時代の仏様、鎌倉時代... -
市民の窓
「不許葷酒入山門」石碑考
曹洞宗のお寺には標題の石碑がお寺の入口に多く見られます。秦野市内には曹洞宗のお寺が31ケ寺ありますがこのような石碑が設置されているお寺は22ケ寺です。標題の読みは「くんしゅさんもんにはいるをゆるさず」ですこの意味はネギやニラ、ニンニク、ノビ... -
市民の窓
如慶と刻銘された石仏
秦野市千村地区の泉蔵寺に秦野市指定重要文化財、石造十王像が安置されています。この石仏は昭和42年の文化財調査の際に東泉寺十王堂(明治期に廃寺)で発見され、泉蔵寺に移されました。この石仏群の中に地蔵菩薩があり後背右に如慶と刻銘されています... -
市民の窓
200年続く上関の地神講
秦野市堀山下670番地に明治初年まで、岩舟堂という地蔵を祀るお堂があり、その敷地の一角に文政10年(1827)天社神という地神塔が建てられました。碑を建てるには講中組織があり、講中の人々が資金を出し合って碑を建立したものと考えられます。それ... -
市民の窓
デーケーの語源について
デーケーは秦野弁で正式名称ダイカイと呼ばれる容器です。写真1は我が家に伝わるもので、黒塗りの外箱の中に内箱が入っています。外箱の大きさは36cm四方、高さ33cmです。内箱は上蓋開けると内容積は約6ℓです。 デーケーの代表的な使用例としては葬儀の... -
市民の窓
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に寄せて
現在ǸHK放映の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が折り返し点を迎えようとしています。鎌倉が舞台なだけに県下各地域でドラマに関連する話題が取り上げられ、各社マスコミも掲載に当たっては競って力を入れて余念がありません。ドラマに係る人物や事績を中心とし... -
市民の窓
寅年薬師如来御開帳に寄せて
12年に1度の寅薬師めぐりの年がやってきました。相模21寺にて薬師如来の御開帳が行われます。 秦野市内に於いては大根地区の東光寺(南矢名366)、本町地区の天徳寺(文京町6の22)、東地区の 広院(西田原98)の3ヶ寺です。 古来より薬師如来は身... -
市民の窓
波多野氏と鎌倉殿 源氏との結びつきと石橋山の合戦
治承4年(1180年)源頼朝伊豆で挙兵、石橋山合戦で敗れるがその後わずか2ケ月後に10万の兵を携え鎌倉に入城し日本で最初武士の政権鎌倉幕府を開く、このとき源頼朝に加担しなかったことにより西相模の豪族波多野氏一族は数奇な運命をたどる。 秦野の地...
12